悩みや不安のない人生、大事件のない「無事な」人生を、送ることができればそれで十分。
そういう考えも、もちろんあるよね。
決して間違いじゃない。
だけど、それってホントは当たり前、単なる初期値(ディフォルト)なんだよ。
私らが、自分で自分のじゃまをしていたから、人生が必要以上に困難になっていただけ。
地道なコソ練で心を正気に戻すのは、単に、人生をディフォルトに戻したに過ぎない。
それは非常に大切な土台だけど、私らに用意されている幸せは、そんなもんじゃない。
元・メインブログの過去記事より。
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自分の適性や能力を、神の道具として使う。
それって別に、たいそうなことじゃないんですよね。
単に、本来の自分、本来の喜びを生きるだけ。
その実体も、実にシンプルです。
喜んで過ごす、楽しんで過ごす。
好きなこと・楽しいことをする。
その瞬間、感じたまま、自由に過ごす。
ぼーっとする。
それだけです。
ほんの短い時間でもね。
どんなに忙しい毎日でも、自分のためにそうした時間を確保しておくことで、自然と、自分独自の適性や能力が自覚できるようになってきます。
すでに自覚がある場合は、それを使って何かを表現する時間を増やしていけばいいだけ。
こうした時間の使い方は、自分にとっての天職が見つかった後もずっと続いていきます。
「何かを見つけたらおしまい」「どこかにたどり着いたらおしまい」という発想から抜けることそれ自体が、本当の意味での天職を生きる第一歩なのかもしれません。