…愛されていたのだな。
なにやら、謎の断捨離熱が高まっている。
昨日は、事務所から戻ったあと、手つかずになっていた段ボールや、もう使う予定のない靴の箱を片付けた。
今日は午後から、食器棚の片付け。
15年以上前、毎シーズン、果実酒やジャムを作っていたころに集めたビンの数々、もう使っていない食器の数々、たぶん飲むことのないお茶のストックを、一気に処分した。
処分しよう、と思って表に出したものたちは、過去のある一時期、我が家の日常を豊かにしてくれたものばかりだ。
かつては、イチゴやサクランボ、桃、なし、ぶどうなどを、生産農家まで買いに行っていた。
どの農家もすっかり顔なじみだから、ふつうに買った果物のほかに、売り物にできない果物やお野菜をお土産に持たせてもらえる。
当時は、食べきれない果物をジャムにして、いろいろな人におすそ分けしていたので、可愛らしいビンを見つけたら手元にとっておく習慣があった。
身体のデトックスをした際、紅茶のカフェインが身体にキツすぎるとわかって、家で飲むのをやめたが、それまでは大の紅茶好きだった。どちらの実家も、家でおいしい緑茶を淹れていたので、新婚のころから、同然のように緑茶を飲んでいた。
つい数年前までは、紅茶も緑茶も、お気に入りの茶葉を何種類もストックしていた。
使っていない食器のほとんどは、結婚した際、双方の実家や母の友人たちからもらったものだ。
今思うと本当に不思議なのだが、みんながみんな、「大きいお皿があると、人が来たときに便利だから…」といって、立派な大皿をくれるのだ。
そんなふうにして集まった大皿は10枚近くあった。
今のマンションに引っ越してからしばらくの間は、しょっちゅう人を呼んでいた。お正月には自分でおせちを作っていた。
バリエーション豊かな大皿は、晴れの日を素敵に演出してくれた。
可愛らしいワイングラス。
きめ細かい泡がたつ陶器のビアグラス
熱燗のおちょこ
大小さまざまな急須。
どれもみな、生活を豊かにしてくれた愛用品たちだった。
自分で買ったものもあるけれど、いただいたものも多い。
数年前から、食卓に直接出せるフライパンや鍋を使いはじめた。
料理を温かく食べられて、見栄えもよく、洗う食器も少なくて済む。
このスタイルに変わってから、使わないお皿がさらに増えた。
生活が少しずつ変わってきているのに気づいてはいたけれど、もう使わないと確信しているものを処分するのに、ずいぶんと時間がかかった。
一方で、今の食器棚を見ていると、ほとんど使わないものがその大きさや形状ゆえに、一等地に鎮座していたりして、すこぶる使い勝手が悪くなっていた。
よっしゃ!と腰を上げて、動き続けること半日。
食器棚の断捨離第一弾が終わった。
片付けているときは、ひたすら身体を動かしていたので無心だった。
いつもより早い時間に夕飯を終え、ひろびろとした食器棚を眺めていたら、結婚する前からのいろいろな思い出が心をよぎった。
学生のころから、母に連れられて、母の友人たちと顔を合わせることも多かったから、私の結婚が決まったときは、みんな大喜びしてくれた。
…で、揃いも揃って、大皿をプレゼントしてくれた(笑)
私が思う以上に、私は愛されていたのだな。
当時は、ここまで思いが至らなかった。
今まで出会った農家の方たちも、行きつけのお茶屋さんも、お酒屋さんも…みんなみんな、親切にしてくれた。心に残っているのは、楽しい思い出ばかりだ。
本当に愛されてきたのだな。
いろんな人から、大切にしてもらって今がある。
食器は処分してしまったけれど、この気持ちだけはずっと覚えておこう。
ずっとずっと愛されていた…という気づきを、今月の思い出にしよう。