他の誰かから繰り返し聞かされた言葉、
他の誰かが何度も使っている言葉を、
「自分のものだ」と勘違いしてないか?それらの言葉に、
君自身の人生を明け渡してはいないか?君自身のために用意された人生に
目を向けることなく、
ひたすら、他の誰かの言葉を寄せ集め、
聞こえのよい「人生賛歌」を奏でていないか?君自身をおとしめる言葉ばかりを握りしめ、
君本来の姿とはかけ離れた伝記を
描こうとはしていないだろうか?君自身が慣れ親しんだ言葉、
「自分のもの」だと勘違いした言葉から
一回は慣れてみるといい。それがたとえ、君自身にとって
かけがえのない大切な言葉であったとしても。
アメブロの過去記事を整理していたら、こんなメッセージを見つけました。
全文は、こちらでご覧いただだけます。
自分の思いや考えだと思っていることの多くは、過去のどこかで自動的に記憶されたものです。
インパクトのある出来事がきっかけで心に刻まれた信念や観念もありますが、日常生活で知らず知らずのうちに記録された言葉もたくさんあります。むしろ後者の方が多いくらいです。
心の学びやスピリチュアルな探求をはじめると、「自分の声を聞く」というテーマに直面します。自我の声と魂の声…なんていう「区分け」に出会う方もいらっしゃることでしょう。
ここで肝心なのは、記憶のなかから出てくる言葉は基本的に、自動記録・自動再生である、という基本を忘れないことです。
どんなに「魂の声」っぽく見える言葉でも、今の気持ちや認識と関係なく、自動的に出てきたのだとしたら、さしたる意味はありません。
心のコソ練では、私たちを幸せに導いてくれる思考を「真の思考」と呼んでいます。
それはいつでも、過去の記憶からではなく、今この瞬間の感覚と認識を通して現れます。
だからこそ、理屈を超えた納得感があるし、心が自然と前向きに、温かく整うわけです。
思考は言葉、そして言葉は人生を創る核です。
どの言葉で人生を創るのかによって、どんな人生が創られるのかが変わります。