前回、前々回と、新時代を生きる子どもたちをテーマにお話をしてきました。
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今回は、言葉を話す必要を感じていない子どもたちというテーマでお話をしてみます。
何度も言いますが、私個人は、このテーマに特段の興味を持っていたわけではありません。子どももいませんしね。
縁あって、「昭和に育った大人とは根本的に違う生き物だ」と感じざるを得ない子どもたちと出会った体験を、ヒーラーの目線からシェアしています。
ひとつのものの見方・考え方として、読んでくださると嬉しいです。
話す必要を感じていないから、話さない。
前回の記事でご紹介した年下のチャネラーさんとの対話で、もうひとつ興味深いトピックがありました。
それは、クリスタルやレインボーといった言葉で表現される、新しい時代の子どもたちについてです。
そうした子どもたちについて、彼女がこんなことを教えてくれました。
「あの子たちは、言葉が要らない世界からやってきているから、この世に肉体をもって生まれてからも、なかなか喋ろうとしないんです。
だからね、赤ちゃんの姿をしたレインボーちゃんたちを見かけたら、『ここは、言葉の世界だから、ちゃんと喋らなきゃダメだよ』と教えてます」
それを聞いて、「だからかーーー!」と納得しました。
私が一時期、ヒーリングで見せていただいたお子さんたちの多くが、同じ年齢の子どもたちに比べると、言葉の発達が遅い、という診断を受けていました。
一方、ヒーリングで見る限り、発達が遅いとはとても思えません。
むしろ逆です。
「この子、どこまで見てるんだ⁇」と驚くほど、周囲のあらゆるものを観察し、細かな情報を集めています。もちろん、いろいろな言葉も聞いて知っています。
でも、肉体の身体としては、全然喋らないんですよね。
彼らが、そもそも言葉の要らない世界からやってきたのだとすれば、その状況にも大いに納得がいきます。話さなくても通じるし、大丈夫だ、と思っているから、喋らないだけなんですよね。
そうした見方ができると、単に、「同年代の子どもに比べて言葉を話し出すのが遅い」という現象を特別視することのほうに、違和感を覚えます。
本当に変えていこうとしているのだな。
そういえばかつて、言葉をなかなか話さないお子さんのヒーリングをさせていただいたとき、
美しい言葉をたくさん聴かせてあげて、
お子さんと楽しく対話してください。
話す楽しさを知れば、
いずれお子さんも話はじめます。
といった意味のメッセージを、お母さんに伝えたことがありました。
チャネリングで受け取った言葉をそのままお渡ししたので、私自身も「なるほどなー」と納得したものです。
ただね、こうしたメッセージもまた、私も含めた「昭和世代」、言葉ありきの世界で育ってきた大人の心を落ち着けることを意図して、届いたものだとも思うんです。
まずは大人の意識を和らげないと、聞く耳を持たないでしょうから。
最近しみじみ、教育が必要なのは、子どもじゃなくて、まあまあいい年の大人の方だ、と実感します。
もしかしたら将来、言葉以外のコミュニケーションツールが「ふつう」になる時代がやってくるかもしれない、と想像することがあります。
その可能性がゼロではないと感じるとき、
「一般的な」成長過程とは違った時間軸で生きている子どもたちは、そのままの自分を生きることで、古い秩序に疑問を投げかけ、社会の仕組みを深いところから変えていこうとしている、
という見解に、より確かな真実味を実感します。
それぞれがあるがままを生きているだけ。
ここまでの話はあくまで、私の実体験と、それに基づく洞察・所感です。
結局のところ、ものの見方・考え方のひとつでしかありません。
科学的根拠や学術的な権威がないと信用できない、という価値観の人は、それを満たしてくれる場所で生きていくのが一番です。
ものごとの判断基準に絶対的な正解はありません。なにを物差しに生きていくにせよ、そこに意図があれば、幸せに生きられます。
一方で、今までお伝えした話を、ものの見方のひとつ、アレンジのひとつ、ととらえていただけるなら、あなたの人生の可能性に、彩りと広がりが生まれます。
「別の見方」を試しに採用してみることで、この社会で「異端」「異常」「規格外」「想定外」とされている現象が、少し違って見えてくるのではないでしょうか?
そして、ごく自然な感想として、それぞれがあるがままを生きているだけだ、という認識が生まれると思うのです。
それはなにも、新時代の子どもたちに限った話ではありません。
新しい時代の子どもたちに限らず、私たち大人に関しても、社会の中なかの「実用的な」働きとして、治療や訓練、休養が必要なことはあるでしょう。
それは単に、今の社会の枠組み、今の社会のタイムスケジュールに合わせるための「調整」、アジャストメントです。
その人自体に何か悪いところがあって直す、というわけではありません。
少なくとも私は、そう考えています。
社会的な働きの一部としての、治療・訓練・休養と、一人一人の存在そのものの価値は、そもそも違う次元の話です。
次元が違う話を混同して考えるから、心の一部がモヤモヤするのだと思います。
とはいえ、いつでも冷静に、ものごとを区別して考えられるわけではありません。
どんな問題であれ、自分が当事者になったら、混乱するし、頭を悩ませるし、心を痛めることもあります。
だからこそ、この時点で余裕がある人間が、平穏でいることに価値があるのだと思います。実のところ、それがヒーラーの一番大切な仕事です。
意図の違いは、住む世界の違いにつながる。
実際の行動・言動として、どう接するかではなく、そこにどんな意図を持っているかが大切だと私は考えています。
そして、「本来はすべてがあるがままで完璧であり、その存在自体を変える必要などない」という前提があるかないかで、自分自身や接する人たち、その関係の中で生まれる体験が根本から変わってくるように思います。
意図のあるなし、意図の違いは、私たち一人一人が住む世界を根底から変えていきます。
同じ場所で、同じ行動・言動をしていたとしても、意図の違いで、住む世界はまったく変わります。
私たちはいつでも、自分自身の意図と決意だけで、自分が住む世界を選べます。なぜなら、世界は外にあるのではなく、自分の中にあるからです。
試しに採用してみてください。
私がヒーリングのなかで見た景色や、そこから生まれた体験談を、住む世界を選ぶためのひとつのきっかけとして、活かしてもらえたらいいな、と思っています。
「なるほど、その考え方は面白いし、納得できる」と感じた方は、本当に軽いノリで、それこそ、メガネを着け変えるくらいの感覚で、私のご提案するモノの見方や考え方を試してみてください。
試しに採用してみて、今までとは違う幸せな世界が見られたなら、それでよし。なんともなかったら、それもよし。
どちらの体験も、あなたの住みたい世界を選ぶ指針のひとつとして、役立てていただけます。
私の言葉がきっかけで、あなたの世界に、幸せな彩りがひとつ増えたのなら、さらに嬉しいこと、このうえありません。
思うところあって、割とガチなヒーラーの一面を、しばらくの間、表に出していませんでした。
これからは、自分の意図にしたがって、「見えない世界の話」をしていこうと思っています。
あくまで、ものの見方・考え方のひとつとして、おつきあいくださると嬉しいです。
いずれシェアしようと思っていたテーマを、こうして公開できて満足しています。
長い長いお話におつきあいくださり、ありがとうございました。